スズイチのブログ

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ps2版「ドラゴンクエスト5」をクリアした感想。

つい先日、ps2版の「ドラゴンクエスト5」をクリアしました。

休日しかプレイする時間がなく、クリアするのに2か月以上、掛かってしまった。

とても面白いストーリーだったが、ゲーム内における登場人物と実際のプレイヤー(僕)の間に若干の感情の差異があることに気が付いた。

この「ドラクエ5」。ゲーム内では「伝説の勇者を探せ」と物語的に指摘されるが、実際にこのゲームをプレイする僕としては、これは「父であるパパスの仇討ち」の物語だった。

物語の前半で主人公の父パパスは殺されてしまう。

二足歩行の馬(ジャミ)と紫色のカバ(ゴンズ)にリンチにされ、最後は魔法使いみたいな男(ゲマ)に焼かれてしまいます。

その場面はドラクエ史上、いや、ゲーム史上もっともショッキングなシーンの一つではないだろうか。

で、パパスは死ぬ間際に「お前の母はまだ生きているはずだから探してくれ」と主人公に託す。それが父の遺言になる。

その10年後、主人公が奴隷生活から解放された後に手に入れる事ができるパパスの手紙にも「妻マーサを助けてくれ」と書かれている。

手紙によると、妻マーサは魔界に通じる能力がありそのために魔界へ連れ去られた。そして魔界に行けるのは天空の武器を身に着けた伝説の勇者だけ、とのことで、そこからは物語の目的は伝説の勇者を探す旅になります。父パパスの悲願を受け継ぐわけです。

しかしプレイヤー(僕)としては、会ったこともない母マーサよりも父パパスの敵討ちをしたいわけです。あのにっくき二足歩行の馬と紫色のカバとオカマの魔法使いをぶちのめしたいわけです。

そんな僕の気持ちとは裏腹にゲーム内は「伝説の勇者を探す」旅を繰り広げます。パパス殺害の原因を作った一人であるヘンリーからも「早く伝説の勇者が見つかるといいな」と励まされてしまいます。いや、そこは「早くパパスを殺した魔物たちが見つかるといいな」ではないだろうか。一緒にパパスの敵討ちの旅に出る、みたいな展開もありません。

その後、勇者探しを続けていくうちに主人公は結婚して、グランバニアの国王の息子ということが判明し、双子の父親になります。

そして、妻誘拐事件が勃発します。行方を追うと、何とお懐かしや、犯人は父パパスの仇である二足歩行の変態馬であるジャミであり、実に10数年ぶりの対面を果たすことになります。

で、ジャミとの対決になりますが、この戦いはドラクエ史上、もっとも感情的になる闘いの一つではないだろうか。何といっても父の仇なのです。「この野郎!」と思わず力が入ってしまいます。

しかし、ゲーム内ではこの場面では「父の仇」や「パパスを殺した」などのセリフや感情は表現されてはいません。ジャミが妻を誘拐した理由はグランバニア王である主人公を殺して自分が王に成り代わる事であり、パパス云々は関係ありません。

よって父を殺した奴と妻を誘拐した奴が同一人物という少々ご都合主義な展開になります。ジャミは死ぬまで目の前の男がパパスの息子だとは知りません。

「パパスの敵討ち」等の要素が含まれていないのは、制作側の都合ではないだろうか。血なまぐさい展開を避けるために、そのような表現を避けたのではないだろうか。

何にせよ、ゲーム上の物語展開とプレイヤー(僕)との間に感情の差異を感じます。せめて「お前はあの時のパパスの息子だったのか」みたいなジャミのセリフが欲しかったです。

その後の展開では、もう一人の父パパスの仇である紫色のカバ(ゴンズ)をやっつけることにも成功しますが、そこでも「復讐」の要素は表現されません。

そして物語の終盤、魔界にて主人公は母マーサと再会(記憶にはほとんどないわけだけど)する事ができますが、魔法使いのオカマ野郎(ゲマ)に巨大火の玉で攻撃され、ミルドラースに稲妻に打たれ絶命していまいます。

パパスを殺した張本人(ゲマ)を討ち取ることが出来ますが、折角魔界まで来て母と再会できたのに、この結末は酷すぎるのではないでしょうか。

そして唐突にパパスの幽霊が出現します。「子供たちの未来は子供たちに託そう」とマーサと共に主人公たちを見守ることを決意します。

幽霊とはいえ、パパスとの感動の再会。息子である主人公を庇って命を落としたパパス。しかし恨みを持つこともなく「がんばるのだぞ」と主人公に対して声を掛けてくれます。プレイヤーである僕はボロボロ涙が止まりませんでした。おそらく主人公も涙していたと思います。

そして魔王ミルドラース(年老いたピッコロみたい)を倒して、グランバニア城にてみんなでワルツを踊ってそれを見守るパパスとマーサでエンディングです。

クリアしてからも、やはり存在感があるのはパパスであり、印象的なのはパパス焼死の場面です。プレイヤー(僕)にとっては復讐譚であるが、ゲーム制作者が意図的にそんな血生臭い要素を極力排除したような、ゲーム内の目的を感情操作されたような印象を受けました。

 

 

 

暑いし、暇だから、市営プールで泳いできた。

先週の日曜日、家に居ても暑いし、する事がなく暇だから、市営のプールで泳ぎに行った。

家から原付で15分程度で行ける、縦25メートル、横8コースのどこにでもありそうな屋内プールだ。入場料200円。

行ったら、めちゃくちゃ人がいた。親子連れや子供の集団がほとんどだ。僕みたいな30代の独身男性は皆無だった。

コースごとに「水と戯れる」「ひたすら泳ぐ」が設定されており、「水と戯れる」コースには親子連れが有象無象に奇声を発しながら狂乱の宴を繰り広げていた。

僕は「ひたすら泳ぐ」コースで文字通りひたすら泳いでいた。延々とプールを往復していた。そして平泳ぎをしながら、色々な事を考えていた。日常の事や仕事での嫌な事や悩み事。でも泳ぎながらだと、それらの事はとても些細な出来事のように思えてくるから不思議なものだ。良い気分転換になった。

それと、ひたすら動いていても、水の中だから汗を掻くことがない。疲れたのでプールサイドで少し休憩している時でも、心臓がバクバクしているのに汗が出てこないのが何やら不思議な感じがした。

2時間ほど泳いで帰宅したのが午後3時。テレビを観ていたら心地良い眠気に誘われて、数十分昼寝をしてしまった。気持ちいい睡眠を取ることができた。

水泳は、ストレス発散にとても良い。これからはしばらく休日は市営プールに通うことにしよう。

 

人材不足のため、とりあえず各ラインの効率性を調査することになった。

僕は自動車部品工場に勤めている。

その工場で、今、人材不足に悩まされている。

立地条件や少子化の影響なのか、新入社員が集まらない。関連会社の社員やアジア系の技能実習生などで人材を確保している状態だ。

僕の担当しているラインは今まで日勤夜勤共に2名ずつ合計4名で生産していたが、異動や退社などの影響で昼間2名、夜勤1名で生産している状態だ。

表明的には、たかが1名減っているだけに見えるが事態はそんな単純ではない。4人から3人になったので、そのまま生産数が4分の1減少しまったのだ。

オーダー数はそのままで人材が減っている。結果、各個人の残業時間が増えた。連日3時間の残業は当たり前、休日出勤も常態化しつつある。

そこで、現状を整理し打破するため、とりあえず各ラインの効率性を調査することになった。1時間当たり何個生産出来るのか、というものだ。

最新式のライン工場ならば、「1時間あたりの生産数」が電工掲示板に表示され、それを見てライン長や各社員はペースを上げたりするものだが、僕の勤めている工場は設備がとても古くて、(80年代ぐらいの機械を使用している)そんな便利な物はないし、導入する資金もない。

そこで1時間当たりの生産数を紙に(いらないコピー用紙)に直接ボールペンで記入していく、というアナログな方法が導入された。調査の結果、僕のラインは2人で製品を生産した場合は1時間あたり80個前後生産できるということが判明した。

驚きなのが、そういった効率性を調査することをこれまで表立って会社が公式に調査したことがなかった、ということだ。日々の経験のなかで、社員が何となく把握していたに過ぎなかったのだ。

それまでは人材が沢山いたので、生産数が計画書から多少遅れていても「人材ゴリ押し作戦」で挽回出来たが、今はそれが出来ない。人材そのものがいないからだ。

これからは1分1秒を争う効率の良い働きが求められる。各個人の仕事量が増え、残業することが当たり前になり週末は疲労困憊してしまう。人がいなくなったことで職場がよりシビアになり、緊張感が生まれた。

 

僕にとって、大学進学は意味がなかった。

高校卒業後に地方の私立大学に進学した。専攻学部は「国際経済学部」でした。

親元の実家を離れての賃貸アパート一人暮らし。家賃や生活費などは親からの仕送りがあったので、基本的には生活に困ることはなかった。学費も親が出してくれた。

そんな至れり尽くせりの状況の中、無事4年間で大学を卒業する事ができた。

で、卒業してから思ったのだが、いや、正確には在学中に薄々思っていたことだが、「大学って、あまり意味がない」と気が付いてしまった。

やっぱり大学には目標を持って行くべきだと思う。

将来、どういう職業に就きたいのか。

そのためにはこの大学のこういう勉強が必要だ。

という感じで、将来の職業を見据えて、そこから逆算して大学への進学を決めるべきだと思う。

しかし当時の僕、そして大学進学を強く勧めた親父は結局、大学というものはどういうモノなのか、何のために存在しているのか、分かっていなかった。

ただ、大学を卒業すれば良い企業に就職出来るだろう、と何となく考えていた。

実際に進学してみた印象は、大学といっても特別な事を学習できるわけではなく(少なくとも僕が行っていた大学は)中学、高校の延長線上、もしくはだぶる内容の授業内容だった。

地元を離れての進学だったので知り合いなどおらず、個人単位で教室を移動して授業を受けていくので知り合いが出来にくい環境で、誰とも会話せず大学と賃貸アパートとの往復で一日が終わることもざらだった。

僕自身もやりたい職業があるわけでも見つけるわけでもなく、ただ漫然と大学生活を過ごした。

そんな状況では案の定、就職活動は上手くいかなかった。どこでもいいからとりあえず内定をもらえればいいや、という考えだったので、そういう気持ちも企業から見透かされていたことだと思う。なかなか内定を貰うこともできず、結局地元の新聞紙に記載されている求人票へ電話をしてみて、就職先が決まった。

その時点で完全に大学に行った意味はなくなってしまったように思う。何故なら新聞に掲載されている求人に応募したわけであり、応募資格も大卒等などの条件は必要なかったわけだから。

大学進学の経験を生かせなかったのは、もちろん僕の能力不足が一番の理由だろう。ただ当時の僕や大学進学を強くすすめた親父はある意味、世間から「洗脳」されていた事も事実だと思う。

世の中の風潮の「良い大学を卒業して良い企業に就職する」という考えに僕と親父も囚われていた。

考えてみれば「良い企業」って何なんだ、ということになる。給料が高い、ということなのか、残業が少なく休日が多い、ということなのか。その辺を曖昧にして特に深く考えず、何のために進学するのかも深く考えずに、大学に行ってしまった。

自分のことを卑屈に考えるわけではないが、僕自身は性格的にもおとなしく、他人と喋るのが苦手なので、人並みに出来る仕事は、ブルーカラーの、工場の単純作業しか出来ないと思う。つまりわざわざ大学に行く必要もないわけだ。高校在学中はそういう自己分析などせずに何も考えずに毎日を過ごしていた。

私立の大学だったので学費もそれなりに掛かったことだと思う。一人暮らし用の賃貸アパートの家賃や生活費も親から出費してもらった。それは申し訳なく思うし、今現在、その金が手元にあったらなと下世話な妄想をすることもある。

僕にとって大学生活とはなんだったのか。いまだに意味を見出せない。

人によっては、もし学生時代に戻れるならもっと勉強して良い企業に就職したい、と想像する時もあるだろう。僕は思わない。僕は自分の能力や才能を見限ってしまった。高校卒業後は高望みせずに新聞やハローワークに掲載されている企業に就職するべきだったと思っている。僕にとって大学は意味がないのだ。

 

 

「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」を読んだ感想

「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」著デービッド・アトキンソンを読みました。

この本には日本経済の悪い点や改善点が書かれており、読んだ後では日本に対しての印象が随分変わってしまいます。

僕の中では、残念ながら日本の「高度経済成長」の幻想が崩れてしまいました。

これまでは、戦後焼け野原になった日本が立ち直れた理由は、日本人の勤勉さや技術力の高さによって実現出来た、と漠然に思っていましたが、この本ではそれらは「妄想」であると断言しております。

高度経済成長、それはいわゆる団塊の世代と言われている「爆発的な人口増」によって実現出来たのです。さらに加えて「復興」にむけての建築やインフラ整備などの仕事が山ほどあったからなのです。それらのことが「数字」によって分かりやすく証明され解説されております。

「日本人が勤勉だったから」とか「技術力が高かったから」というのは幻想に過ぎなかったのです。それらは2018年現在、韓国や中国の台頭を見ると妙に納得していまいます。

本には日本社会の問題点として、とにかく自画自賛が多い所と説いています。産業によっては外資系が少なく競争が少ないのでしかたなくそれを選んでいる、というのに「日本の品質は世界一だから選ばれている」と国民は勘違いしてしまっています。

日本のサービスは客よりも供給側を優先させていることにも言及しております。顧客のニーズを調査せずに技術者のエゴを優先させた「ガラパゴス携帯」が良い例です。

著者が外国からの客人と名門老舗旅館に宿泊したときのエピソードが書かれております。予定よりも早く旅館に着いてしまい、早く客人を休ませてやりたいと旅館の女将に頼んだら「チェックインは午後3時からですのでその時間にまたきてもらえますか」と断られたそうです。

部屋は空いており掃除は済んでいるのにも関わらず、「チェックインは3時からです」の一点張りだったそうです。

しかたなしに旅館に併設されているレストランに入ろうとしたら、「ここの利用は宿泊客のみとなっております」と無下にも断られてしまったそうです。

この旅館のサービスも客の事を無視して、自分たち旅館の運営を優先させているのです。

ちなみにこれと似たようなエピソードは松本人志の著作「怒り 青」でも書かれております。p36-37の「従業員教育ができていない飲食店」です。個室が空いているにもかかわらず店側からは「前日予約ではないと利用できない」と断られて、松本人志が憤慨しております。

この本には様々なデータが「数字」で表現されており、非常に説得力のある経済論評になっております。国内の製造業が駄目になり、これから観光立国を目指す日本の最適な本になることでしょう。

 

 

映画「マイ・インターン」を観た感想

映画「マイ・インターン」を観ました。

定年後、妻に先立たれてする事がなくなったデニーロが、アン・ハサヘェイが経営する服飾関係のネットショップに再就職する、という内容です。

もちろん、ただ単に、再就職しました、生きがいが出来ました、終わり、というわけではなく、いろいろドタバタ騒動が起こるわけです。

若者と老人との世代間のやりとりや、女性の社会進出、専業主夫などなど。いろんな問題が発生するが、それらを経験して確実に人間として成長していく登場人物達。

けっしてつまらなくはないが、一回観れば十分な内容でした。

しかも観ている途中から思っていたのだが、少々おかしな所もある。デニーロはシニアインターンとして再就職するのだが、当初全然仕事が与えられない。ひたすらパソコンに送られてくるであろうメールをデスクに一人座りながらひたすら待っている。これはおかしいのではないか。仕事がないのなら何故彼を雇用しようとしたのか、ということになる。

一応劇中では「社会貢献の一環」とかいう理由で高齢者であるデニーロを採用したと語られているが、少なくても日本人の僕の感覚としては、そんな理由で採用するのは不自然に思えた。それともアメリカの会社は時々こういう理由にもなっていない理由でシニアを採用したりするのだろうか。

あと妙に共感してしまったのが、冒頭でデニーロが定年後の今現在の生活を語っているのだが、僕の休日の過ごし方に似ている点だ。

「やること探しの連続」「家の外に出て行動あるのみ」「旅行に行っても帰ったとたん空しさを覚える」「読書、映画鑑賞」悲しいことに36歳の僕の休日の過ごし方は定年を迎えた老人と同じらしい。

結局は今の閉塞的な生活を変えるためには行動あるのみ、ということなのか。仕事も与えられるのを待つのではなく自分から探すこと、見つけることなのだ。

 

映画「チャイナタウン」を観た感想

1974年のアメリカ映画「チャイナタウン」を観た感想を書いていきます。

思ったよりも、この映画のストーリーはよく練られていた。観る前はもっと単純なストーリーかなと勝手に思っていたが、少なくとも僕の頭では少々難解な物語でした。

主演はジャック・ニコルソンで探偵業を営んでいる。探偵だから劇中で尾行やら隠し撮りやらをするのだが、ジャック・ニコルソンの異様な存在感と個性的なルックスでは絶対、尾行は無理だろうなと思いながら観ていました。隠し撮りしていてもばれるだろう。

最初はただ単に夫への浮気調査かなと思いきや、そんな単純なものではなく大きな陰謀、殺人事件に発展していきます。

要はダム建設に関する陰謀、町の水源に関する利権が絡んでいるが、僕はそういう政治関連の話題が苦手なのでいまいち理解しにくかった。

しかし、終盤付近で共演のフェイ・ダナウェイから明かされる驚愕の事実。

「私の娘よ」

「だますな」

「妹よ」「娘よ」「妹だし娘よ」

とぼけるな、フェイ・ダナウェイ、と思いながら観ていたが、真実は彼女の言葉そのままなのですよ。事件の黒幕が誰かというよりも、この「娘であり妹」の事実が僕の心に深く残った。

ある意味、「ME TOO」運動やセクハラ問題が話題の2018年現在にはタイムリーな映画ではないだろうか。

ラストシーンの車での逃亡、警察官の発砲、車のクラクションの鳴り響き。そして少女の叫び。それらをジャック・ニコルソンからの目線で撮影する演出。素人ながらこのラストの出来は完璧なのではと思った。

あと印象に残ったのは、中盤にニコルソンが蜜柑畑に潜入するがそこの農民たちに見つかり捕まって暴行を受けるのだが、農民の一人が、持っていた松葉杖でニコルソンをブッ叩こうとするが、仲間の農民に当ててしまうところです。

これは演出なのかアクシデントなのか。多分アクシデントなのだろうが、最初観た時は思わず爆笑してしまった。緊迫のシーンが台無しではないのか。しかも叩かれた農民もさりげなく小声で「ウッ!」と呻いているのも相乗効果を生んでいる。何だかそのシーンにハマってしまって何回も巻き戻してその度にケタケタ一人で笑ってしまった。

映画「チャイナタウン」 難解なストーリーです。観終わってもよく理解できない場合は考察サイトを探して内容を咀嚼すると良いでしょう。