スズイチのブログ

世間から無視された人へ

原付 タイヤが小さくて空気が入れにくい。

 

僕は会社へは原付で通勤している。

車種はスズキの「レッツ4バスケット」

しかしこのバイクの後輪のタイヤに、空気を入れるのがとても難しいのだ。

 f:id:eisuzu1:20190221075635j:plain

タイヤの直径が小さすぎて、空気入れの口針をくっ付けることが出来ない。

そこでネットで調べた結果、「デイトナ エアバルブエクステンション60°」なる物を発見しました。

 

さっそく注文して、一週間ぐらいで届いた。f:id:eisuzu1:20190221080417j:plain

 

それをタイヤの空気注入口

 

にくっ付ければ、あら不思議、空気を入れる事が出来るようになった。

f:id:eisuzu1:20190221080603j:plain

 

世の中にこんな便利な物が存在していたのか。

 

己の世間知らずを痛感し、ネットの便利さ、エアバルブの利便さに感動した。 

 

組体操の思い出

国連の「こども権利条約」委員会が日本の組体操の危険性を審査するらしい。

『極めて危険で重大な事故も起きているのに子供を守る方策を講じていない』

 

小学6年生の時、運動会の行事で組体操をやりました。

運動が苦手な僕は組体操のみならず、人前で注目されてやらなければならない運動会そのものが嫌でした。

嫌、とは思うものの、学校の行事なのでやらなくてはなりません。拒否する選択肢はありません。

 

僕の小学校では組体操は男子だけでやった記憶があります。人間ピラミッドや相手の腿に足を乗せて手をまっすぐ横に広げるポーズ、大人数でお互い汗まみれの男同士、肩を組んで上半身くねくねタイミング動かす波の動き、そして人間タワー、などでした。

 

やることに何の意味があるかのかはよくわかりません。

どうやら、運動会や組体操というのは小学校で代々受け継がれているから、やらなくてはいけない行事のようです。

確か、組体操は「地球誕生」のコンセプトで行われた記憶があります。演者である生徒達の動きのイメージは水とか火とか火山のイメージなのです。映画「ジュラシックパーク」が話題になった時で、あの映画のメインテーマをBGMで使用していました。やたら仰々しいわけです。

ぶっつけ本番ではなく、10数回練習をしました。まずは教室内、慣れてきたら校庭で本番さながらに。

組体操のフィナーレは5段タワーでした。見るからに危なそうです。もし崩れたら怪我をするのは必至。命がけのパフォーマンスです。

その5段タワーには僕は加わりませんでした。僕はメインを引き立てるサブ。メインキャスト達がタワーを組み立てている間は、僕は倒立(逆立ち)をしていました。

 校庭のセンターに人間5段タワー。その周辺を彩る様々な人間オブジェ。その中の一つが僕による倒立です。

しかし僕はとても運動が苦手です。体も華奢で体力もありません。世の中には、倒立なんて簡単だ、何十分でも続けて出来るよ、なんて言う人もいるでしょう。しかし僕にとってみれば倒立というものは、それこそ天地がひっくり変えるほどの所作なのです。

 

もっともその倒立は僕一人でやるわけではなく、同級生のOくんにずっと足を掴んでもらう、というものでした。メインキャストの学生達が人間5段タワーを組み立てている間、ずっと足を掴んでもらいながら僕は倒立をし続けなければならない、というわけです。不安でいっぱいでした。

 

組体操練習初日。6年生の男子生徒全員が体育館へ集合しました。総勢100名ぐらいでしょうか。先生から組体操の進行の流れ、動き等の説明を受けて、実際に本番さながらの練習を各自、各エリアでこなしていきました。

そして僕の苦手な倒立の練習です。しかし恐怖のあまり体が強張って足が少ししか上がりません。床に対して30°ぐらいしか上がらないのです。倒立なのだから床に対して体を垂直にしなくてはいけません。

煮え切らない足踏み状態。らちが明かないのでOくんが支えてくれることを信じて思い切り床を踏ん張って体を逆さにしました。そして床に対して体が垂直の状態になりました。

しかし次の瞬間、僕の体はそのままの勢いで床に叩きつけられてしまいました。一瞬、何がおきたのかよくわかりませんでした。

僕の体を支えてくれるはずのOくん。僕が倒立をした瞬間、どこか、よそ見をしていたそうです。それで僕の体を掴み損ねたわけです。

要は、僕は思いっきり床に対して踏ん張って逆立ちをして、そのまんまの勢いで向こう側に倒れてしまったわけです。

体育館の床に対して、まるで分度器みたいな体の軌跡を描いてしまったわけです。

傍から見ていた同級生たちは「あいつ、何やってんだ」と思われたことでしょう。「一人で逆立ちして、そのまま倒れ込んだぜ」

このアクシデントで踵を強打してしまいました。背中も打って一瞬、息が止まりました。しかし幸いなことに大した怪我ではなく、しばらく休憩した後、練習を続けました。

その後、何度か、練習を重ねて、いよいよ運動会当日を迎えました。

本番ではあまり緊張することもなければアクシデントも発生しませんでした。

そして倒立も失敗せず態勢を維持し続けることが出来ました。しかし練習とは違い、本番は砂利の運動場なので手に小石が食い込んで痛かったです。

あくまでメインは5段タワー。僕の倒立は脇役、引き立て役に過ぎません。タワーを組み立てている間、僕は倒立をし続けなければなりません。

さらに僕はタワーに対して背を向けた状態で逆立ちをしているのでタワー組み立ての様子がさっぱりわかりません。聴衆の反応、拍手などで推測するわけです。

頭に血が上り、ジンジンしてきたころ、突然の万雷の拍手。どうやら人間5段タワーの完成のようだ。終わったのだ。僕はパートナーのOくんの助けを借りて足を地面に降ろしました。組体操が終わった瞬間です。

後日、廊下に運動会の様子が撮られた写真が沢山張り出されました。直接、見ることが叶わなかった人間タワーもその写真で確認することができました。さらに、その脇にピンと体を伸ばしながら逆立ちしている僕の姿も確認することができました。何だか、とても必死さが伝わるような写真でした。

 

国連の指摘、世論、風潮の変化の結果、将来的には、学校の組体操は消滅するかもしれない。

寂しい気もするが、組体操は時代に合わないのかもしれない。辞めるべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 

「技能実習」とは名ばかりの単純作業

昨年の秋ぐらいから、僕の働いている自動車部品工場へ中国人技能実習生4名が働いている。全員男で20代です。

 

とても仕事のスピードが速く、気のいい好青年ばかりです。

みんな背が高いです。180ぐらいあるでしょうか。以前来ていたベトナム人実習生たちは小柄だったので、その違いに驚いています。

 

良い人ばかりですが、それだけに少なからず心配してしまいます。

 

というのも 彼らは「技能実習生」として来日していますが、実際に行なわれている工場での仕事は単純作業そのものだからです。

 

社員総勢30人くらいの自動車部品を製造する工場なのですが、やる仕事は、部品を機械にセットして起動ボタンを押すと、溶接機が自動で部品を溶接してくれる、というものです。

溶接し終えた製品は作業者が目視してパレットに入れて、再び部品を機械にセット、ボタン押す、その繰り返し、延々、繰り返しです。

 

この仕事では全然、「技能」なんて学べません。単純作業です。

 

強いて言うなら、手足を動かすスピードが速くなったり、足腰が強くなったりする程度でしょうか。

 

中国人の方々が日本へ技能や技術を学びに来た、ということならば、気の毒です。

「想像していたものと違う」「こんなはずではなかった」という心境ではないだろうか。

彼らとは話す機会があまりないのでその辺の真意は分かりませんが。というか怖くてあまり聞けません。

 

お昼休憩はみんな食堂へ移動して昼食を取ります。食堂にはテレビがあり食事中は付けっぱなしになっています。

その時にニュースやワイドショーなどで「技能実習生」について放送されることがあります。

「給料が不当に安い、摂取された」「話が違う。技能を学びにきたのに福島で除染作業をさせられた」「もう日本には行きたくない」

そういう時は、テレビがそのような物騒な内容を放送しているなか、日本人中国人みんな黙々と食事をとっています。

彼らは簡単な日本語なら理解できるのでテレビの内容も理解しているはずですが、日本人中国人とも聞いてないふりをして黙々と食事を取っています。

僕自身「誰かチャンネル変えてくれないかな」「テレビ消してくれないかな、僕が消してくるかな」と思いつつも、何か不自然な行動に躊躇して、黙々と食事を続けています。みんなも薄々思っているのではないだろうか。

 

僕の勤めている自動車の部品工場は今までベトナム人と中国人の「技能実習生」を受け入れてきました。

しかし、実際には技能とは名ばかりの、単純作業を延々と繰り返しやらされます。日本人にはボーナスが支給されますが、彼らには支給されません。

技能実習生の待遇について後々、会社にたいして問題になるのではないでしょか。

平社員の現場作業員である僕にはどうすることもできない。気の毒だなとおもいます。

 

 

 

 

 

 

 

「孤独が素晴らしい」のは、有名人や社会的地位が高い人間だけ。

『「さみしさ」の研究』を読んだ。

 

著者であるビートたけしの「老後」や「孤独」に対する物事の考え、人生観、思想などが綴られている。

 

2019年現在、「老後は素晴らしい」「孤独は己を成熟させるチャンスだ」というような内容の本や書籍が本屋に溢れているが、著者ビートたけしは、それら文言を妄信すべきではなく、「老い」と「孤独」は残酷だ、そもそも「素晴らしい老後」など存在しないと説いている。

そして老人は若者に媚びず、ヒンシュク上等で余生を楽しみ、「いいジジイになろう」なんて考える必要はない、理想は葬式で「やっと死んでくれた」と拍手喝采が起こることだ、などのジジイ論を演説している。老人の生活の仕方や自己を客観視する力が必要と説かれている。

 

さらに「友の死」について。松方弘樹大杉漣星野仙一さくらももこ樹木希林西城秀樹、果てはビッグバンベイダーらに対しての、ビートたけしの想いが綴られている。

 

僕はビートたけし信者でもないし、彼の思想を全面的に肯定するわけではないが、それでも、71歳の、一流芸能人の考え方はとても参考になるし、今後の人生に役立てていきたいとおもっている。

 

 

 

 

 

 

 

学生時代の友人をネットで検索してみた。

みんな、今、何してんだろうな。

そうだ、ネットで検索してみよう。

 

少々、悪趣味な考えだが、学生時代の、そして今は疎遠になってしまった、かつての友人の現在を知りたくて、覚えている友人達の名前を片っ端から検索してみた。

すると、なんと同級生のTくんは某自動車メーカーのディーラーになっていた。

 

Tくんは僕と同い年で小、中学校が同じだった。お互いの家が近くて徒歩5分のところにあり、ほぼ毎日、一緒に登下校していた。

しかし高校は別になってしまい、それからさっぱり疎遠になってしまった。

 

考えてみれば不思議だ。家が近くてほぼ毎日一緒に登下校していたのに高校へ進学してから急に会わなくなってしまったのだから。特に喧嘩した、というわけでもない。

 

ただ、僕もTくんもどちらかといえば物静かな性格をしており、周囲の人間と積極的にコミュニケーションを取るタイプではなかった。

 

Tくんは中学生の時に、当時話題になっていた「エヴァンゲリオン」に熱中しており、登場人物の言動をしょっちゅ真似していた。授業中や休憩中関わらず、デスクの上に両肘を置いて口元を隠しながら一人でぼそぼそ何やら呟いていた。紙の余白にエヴァのイラストを頻繁に描いていた。

 

そういえば、Tくん。将来はアニメーターになりたい、って言ってたなぁ。

 

エヴァンゲリオンみたいな作品を世の中に発表したいと言っていたなぁ。

 

そんなTくんをつい先日、某自動車メーカーの販売店のホームページで見つけた。場所は僕らの地元の市内だ。

 

約20年ぶりの「再会」

HP内の「スタッフ紹介」の項目にTくんのスーツ姿の笑顔画像が記載されていた。良い意味で面影が残っており、見た瞬間、すぐにTくんだと気が付いた。

そうかぁ、車のディーラーになっていたのか。

 

しかし、これは余計なお世話だけれど、大丈夫なのかなぁと心配をしてしまう。

車のディーラーや販売員の仕事のことはあまり知らないが、果たして物静かだったTくんに務まるのかなぁ、と失礼無礼不躾な不安を感じてしまう。

 

学生時代は僕の数少ない友人の一人だったTくん。近況を知れて良かった。何だか不思議とテンションが上がった。近々、その販売店を覗いてみようかなと思っている。社会人になったTくんと再会できるのが楽しみだ。

 

 

幼馴染のHくんは中学校の英語の教師になっていた。

つい先日、何気なく何となく意味もなく、学生時代の、そして今は没交流である、友人達の名前をネットで検索していた。

そうしたら、何と、同い年で幼馴染のHくんが、現在、中学校の英語の教師をしていることを突き止めた。

ネットに公開されている某中学校の「PTA広報」なるものに掲載されておりました。顔写真もバッチリ。とてもまじめでキリリとしておりました。

社会進出しているなぁ。立派なものですよ。

Hくんの実家は僕の家から徒歩3分の場所にあります。これまた、つい先日、僕の父がたまたま帰省中のHくんとたまたまばったり会って少し談笑したとのこと。

その話によるとHくんは結婚して子供がいるそうです。

凄いなぁ。生活が充実していて、人生を切り拓いている感を受けます。

特に妬みとかはありません。子供の時からHくんは、友好的で気づかいが出来て、要領が良かったから、立派な職業に就いている事になるほど納得してしまいます。

Hくんの近況を知れて、何だか力が湧いてきました。僕なりに頑張っていこうと思います。

 

夜勤 誰とも会話しないまま終了する

僕は工場で働いております。

夜勤の場合は夜8時から翌5時までとなっております。

夜7時40頃には会社に到着して、日勤のリーダーからの指令や引き継ぎを受けます。

そして夜勤に入るわけですが、その日の仕事内容やポジションによっては誰とも会話せずに仕事が終了する場合があります。

現在、夜勤は3人態勢で行われていますが、それぞれ別の独立したポジションを担当しているので会話しないし、する必要がありません。

夜8時から翌朝5時まで、3人とも無言のまま、黙々と単純作業をやり続ける。休憩時間もそれぞれ別個の場所で休むので談笑することもありません。

人によってはそれが苦痛に感じる場合もあるようです。「今日、まだ誰とも会話していないよ。」と嘆く人もいます。「人が少なくて何だか寂しい」と訴える人もいます。

しかし僕にとっては逆にとても気楽です。誰にも邪魔されずに他人と会話する必要もなく黙々と自分のペースで黙々と作業することができる。ある意味,理想の労働環境ではないでしょうか。

欲をいうならば、「これが日勤であればなぁ」ではないでしょうか。夜勤は体に負担がかかります。かといって日勤では作業者人数がとても多くて人間関係上のストレスを感じることがどうしてもあります。

誰とも会話せず仕事を終えると何だか時間の進みが速く感じます。あっという間に仕事が終わったような感覚になります。